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2012/04/18

日本の科学技術と文楽

 随分昔、まだアメリカに住んでたころ、チャットで「あなたはプラグマティズムやからね。」と言われたことがある。今日はそんな私の戯言なので、テキトーに聞き流していただきたい。

 


 

 話は正に、私がそう指摘された時点に遡る。まだ日本はLCD産業でイケイケ、理系のいわゆる研究開発にはじゃぶじゃぶ開発費がつぎ込まれてた。マッドサイエンティストな私には歓迎な状況だったわけだが、そのときに例えば考古学という学問の価値がどれくらいで、そこにどれくらいの税金が使われるべきか、そんな感じの話をしてたときの私への指摘だったと記憶している。

 

 さて、時は現代。パナソニックもシャープもソニーももはやLCD産業は事実上の撤退。これら産業の中心は韓国、そして中国へとシフトし、必然的に企業の投資は減少の一途。新エネルギーやスマートグリッドなんて話もあり、それらは間違いなく今後の日本にとって非常に重要なのだが、今利益を生み出す産業というわけではない。

 

 で、はたと思った。私が「プラグマティズム」と評された折、LCD産業イケイケの時代、私を含むいわゆる研究開発従事者につぎ込まれた企業投資および税金は、約10年たった今、回収できたのだろうか・・・と。

 

 研究開発費は産業の成長に重要である。製造業も今の事業だけで永続的に利益を得られるという保証がないので、将来のために開発投資する。業種にもよるが、だいたい売上の5%前後くらいである。5%って企業の経常利益率が5~7%であるから、その投資が如何に大きいかお分かりいただけるだろう。税金の投資は、企業よりはもう少し長期スパンでしかも売上という形では評価されにくいので回収の評価は難しいが、妥当と思われる時期に新規産業が生み出されているか、で評価すればいいと思う。

 

 そもそも、大学で言うと工学部は他の学部より沢山税金が使われている。少なくとも文学部や経済学部、法学部よりは沢山使われている。それは取りも直さず、経産省を中心に日本の産業成長のために必要な投資と考えられているからで、それ自体は間違っていない。しかし、ここ数年のパナソニック、シャープ、ソニーのディスプレイの研究開発投資は、3社がこの路線での回収を断念した時点で既に「間違っていた」と結論が出てしまった。営利追求を目的とする企業ですらこの状況である。国の税金を投入された研究開発は本当に大丈夫なのだろうか。

 

 話は再び考古学。投資回収の視点から考古学に金をつぎ込むなんてナンセンス、かというとそうでもない。遺跡が見つかればその土地の観光収入に繋がるし、考古学好きという市場はニッチだとしても存在するはずなので、無駄ではない。何より人間の好奇心を満たすという大義がある。で、最後の大義が一番やっかいではあるが、その大義の派生が観光収入や考古学好き市場であるとも言える。プラグマティズムの私にはそうやって収入を定義しないと理解できないのだが、収入を考えずとも価値はあるじゃないか、と信じることができるものを総称してアカデミズムというのであろう。

 

 「工学部への投資は考古学に比べて回収の期待値が大きい」ということが、工学部に研究開発費として税金が多額につぎ込まれている根拠であろうが、これは間違っている。回収が不十分ならマイナス効果も起きうるわけで、回収効果を大きくできる、とは言えても、確率的に効果が大きい(期待値が大きい)とは言えない。わかりやすく言えば「ハイリスク・ハイリターン」だということである。日本は現時点で間違いなく科学技術的にトップクラスの先進国であり、これからの日本経済においてまだまだ科学技術系産業は重要という点では異論はなかろうと思う。特に、資源を持たない日本において、原子力政策に多少なり転換が迫られている今、新エネルギーは非常に重要である点には疑いがない。しかし、同時に今一度、これまでの研究開発への税金投入が正しかったのか、真面目に、真面目に考えてもらいたい。

 

 蓮舫議員の「なぜ1位じゃないといけないんですか」発言は、確かにそこだけ切り取ると非常に奇妙に聞こえる。しかし、あそこの議論の文脈は、「1位になることによって、どういう(投資回収)効果があるのか、その検証(あるいは回収までのシナリオ・戦略)が不十分ではないですか?」ということだと私は理解している。そして、その通りだと思う。

 

 研究開発に不確実性は必ず伴う。だから100%大丈夫であることを保証する必要などない。でも、大学の研究論文のIntroductionにお題目のようにその研究の目的が価値あるものとして記載されているが、そこに記載されている価値を実現するまでに必要なロードマップ(いつまでに、どんな技術をクリアすれば、その価値が具体化するのか)は書かれていないし、書く必要もない。ここで考えてほしい。起業家投資家に自分の事業計画への投資をお願いするとき、自分のやりたい部分のみを話して、投資回収の方法について他に丸投げするようなことはあるだろうか。例えば

 「私はドライクリーニングに革命を起こす、臭いがなくて汚れがとてもよく落ちる溶媒を開発することを思いついた。だから1億円投資してください。」

 というお願い。そういうものがあったらいいな、とは理解できるが、それによって生み出された価値でどれくらいの利益が生まれるのか一切言及していない。それを製造するのにさらにどれくらいの投資がいるのか、変動費はどれくらいか、その溶媒にすることでクリーニング屋は設備を変えないといけないのか、そもそもどうやってその溶媒を売るのか・・・といったことを、まともな投資家なら必ず質問する。そしてその全てに「私は研究者だから、そんなことは考えてません」と回答したら、投資家自身が自分の勘で価値を見抜き、さらにそれら周辺課題を解決できる人に心当たりのない限り、絶対に投資してもらえない。

 

 90兆円の予算に対して税収が40兆円そこらしかない今の財政であるからこそ、敢えて言いたい。研究開発予算減らすか、減らさなくてもいいからちゃんと回収までのロードマップを描き経営感覚でステアリングする人または機能とセットになるようにしなければならない。そうすれば、恐らく選択と集中によって結果的に研究開発予算を減らしても効果は上がると確信する。

 

 最近、技術研究組合として企業も募り、産業化すなわち回収をやりやすくするという取組が増えている。これは昭和36年に成立した技術研究組合法を、平成21年に経産省が改正した効果である。しかしここに一つ問題がある。そもそも大学や国の研究機関の関わる組合にくる企業の人間は、経営者ではなく研究者である。技術組合の専任理事も大抵は企業OBで研究畑の研究者であって、経営者ではない。ある意味天下りとさえ言える。本当に日本に産業を興したいのなら、大学の先生が科研費を取るのでなく、起業家精神のある人なら若者でもいいので、経営を考える人が大学の技術を活かしてプロジェクトを興す、そうやって使うべきだ。技術研究組合とするなら、その組合の将来の社長たる理事長を公募し、投資家の審査によって選べばよい。勿論、シーズは科学技術先進国である日本の大学の研究成果であり、その点で大学に研究開発費が下りる構図は同じで、違うのはそれをステアリングするのが研究者ではなく経営者である、というだけである。

 

 プロジェクトを完遂するには大抵一つの技術開発では済まないので、必然的に多分野の開発を統合することになり、複数の研究機関間の連携が必要である。経営者ならしがらみなく最適なスキームでそれができる。選択と集中があったとしても、金額は同じなので恐らく利益を生み出すための最適な配分がなされる方向に改善されると予測できる。それでもそこに参画できない研究者は出るだろうが、それはあくまで国家の産業政策上いらないというだけのことであり、考古学と同じく必要であるから、考古学と同じく研究開発費は下りる。額が少ないだけのことである。

 

 そう考えると、経産省と文科省は研究開発予算の役割を明確に分割し、最初から予算比率を政治が設定すればいい。産総研と理研が管轄省庁が違うことで二つあって、だんだん違いが不明確になってきたので学問分野ですみ分けているが、これは明らかにおかしい。産業政策上のテーマは全て産総研に集中させ、いわゆるアカデミズムのテーマを理研に集中させるのが妥当である。そして予算は必然的に産総研が多くなる。こう書くと産総研優遇に聞こえるがそうではない。大学ではなく、産総研であるからこそ、独立テーマ系の研究は全て大学に移し、産総研は経営者をトップに据え、大学で独立テーマとしてやりづらいリエゾン系のテーマに取り組むと共に、企業と同じように収益を生むことを考える。その収益は国に還元する。大学の発明を特許出願して産総研が権利を保有してもよい。そして収益を国でなく独立採算性の問われている大学に還元するのでもよい。

 


 

 何で突然こんな話を展開しているかと言うと、実は橋下大阪市長の、大阪フィルハーモニーおよび文楽への補助金、文化行政に対する見解に端を発している。蓮舫議員の「2位じゃダメなの発言」のときに一斉に有識者が反発したが、その構図とこの文化行政の話は共通していると思えてならない。

 

 日本の科学技術の「深耕」や文化の「深耕」は無価値ではない。人はただ生きるのではなく、好奇心の充足もまた高い文化レベルで生きるための要件である。しかし、楽しむだけでは生きていけない。魚を獲って生計を立てる人を漁師と呼ぶ。魚を獲ることが楽しいが生計を立ていない人を釣り師と呼ぶ。前者はプロ、後者は趣味である。釣りも極めれば釣り雑誌に寄稿したり、カリスマ釣り師としてプロになって趣味の釣り師を楽しませることはできるが、それを一次産業たる漁業と同列ではないので、農水省も予算は出さない。

 

 文化行政に予算をつけないわけではなく、予算を付けた上で配分について議論しなければならない。本当に文化を深耕するということは、より多くの人が楽しめるようにすることではないだろうか。一部の人しか楽しめない文化を否定するつもりはないし、大衆文化を肯定しているわけでもない。そもそも大衆文化であるポップスやお笑いは、立派に産業として成立しているので産業政策側に分類される。彼らはその努力をして今の地位にある。その地位にない文化は、果たして十分に努力したのか。もし十分に努力して今の地位にあるのなら、それは既に消え去った縄文時代の人たちの娯楽文化と同じで、百年後には影も形もなくなっているかもしれない。もし十分に努力していないなら、橋下市長の主張が正しくて、十分に努力した上でアカデミズム枠として必要な予算をもらえばいい。

 

 科学技術と文化に共通して言えるのは、そこに携わる人の高いレベルの技能があればこそ、彼ら自身が自分たちに特別な権利があると思い込み、自分と自分の為すものの本当の価値をちゃんと考えることを辞めてしまった点に問題がある、ということで、これだけ言ってしまえば私のここまでの長文など全部むだムダ無駄である。

 

 って、てめぇの生き残りの糧を否定しちまってる私は既に研究開発者失格であり、同時にその資格を持つ人たちに頑張ってほしいと心から願うものの一人であることは、恐らく理解されまい。

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